Fallout3、ゲームと原爆に日本ではどう向き合うのか

Fallout3 というゲームがあります。このゲームの舞台は核戦争後の荒廃したワシントンD.Cです。地上の様々な場所・食べ物・水という水が、低濃度から高濃度の放射性物質に汚染されています。主人公の目的は、この汚染された環境のなかで放射線被爆と向き合いながら、核シェルターから失踪した父の後を追い、河川の水から放射性物質を除去するプラントを動かす、というものです。

ゲーム終盤、水質浄化プラントで、高濃度放射能汚染区域の前で「誰が中に入るか」を選択する主人公とヒロイン
ゲーム終盤、放射能汚染水浄化プラントの高濃度放射能汚染区域の前で、「誰が中に入ってスイッチを押すか」の選択を迫られる主人公とヒロイン

今遊ぶと、どうしても福島の原発事故を思い出さずにはいられないシチュエーションといえるでしょう。3.11より後であれば、スムーズに発売できたのか疑わしいとも思います。

しかしこのゲームは2008年発売で、3.11より2年以上前です。当時、このゲームにおける「表現規制」とは2つの要素に絞られていました。

  • 人体欠損(ゴア)にかかる「暴力表現」
  • 原子爆弾関連の表現「被爆国での配慮」

今回のエントリでは、後者の「被爆国としての表現規制」について扱います。

原爆被爆国の日本で、このゲームをどう売るか

このゲームは、序盤に訪れる街「メガトン」にある、不発弾にギョっとさせられます。

序盤に訪れる街の真ん中にある不発の原子爆弾
序盤に訪れる街の真ん中にある不発の原子爆弾

どうみても、これは長崎に投下されたプルトニウム型原爆「FATMAN」と同型です。ゲーム中では、過去の核戦争から残る不発弾という事になっており、いつ爆発するかわからず、住民の不安のタネとなっている、という設定でした。

原子爆弾を起爆させるのは、日本では許されない

主人公に機械いじりのスキルがあれば、この原爆の信管を外して無力化することも可能です。しかしオリジナルのアメリカ版では、遠隔起爆装置を使って核爆発を起こすこともできるようになっていました。

起爆装置を解除し、爆弾を安全な状態にできる。(ただし、内部のプルトニウムは漏出をはじめており、周囲の水たまりは高濃度に汚染されています)
「爆弾処理に成功しました。これでメガトンの住人は安全です」
起爆装置を解除し、爆弾を安全な状態にできる。(ただし、内部のプルトニウムは漏出をはじめており、周囲の水たまりは高濃度に汚染されています)*クリックで拡大

ところが日本の家庭用ゲーム機版では、この「原子爆弾を起爆させる」というストーリー部分が、完全に削除されてしまっていました。アメリカが舞台とはいえ、娯楽ゲームの中で大してペナルティもなく原爆を炸裂させ、その様を眺めて楽しむ…というのは、なかなか許されないことなのでしょうか。(下はYouTubeにアップされていた、PC版です。原子爆弾を起爆して、街を壊滅させるシーン)

原爆をあがめる宗教が…

趣味が悪いことに、この原子爆弾を神聖な存在として崇める宗教まで設定されています。
信者もそこそこいて、原爆の近くで祭司がいつも演説しています。

Fallout3-saisi

神聖な分裂について思いを馳せよ。
その体をアトムに捧げるのだ。わが友よ、自身を死の前に解放し、輝きを感じ、そして分裂されよ!
涙を流すこと、悲しむこと、苦しむことも無い。この世界や苦痛や苦難から解放されるであろう!

神聖な分裂、というのは、連鎖核分裂反応のことと、それで引き裂かれる人間の肉体双方の事を指しているのでしょうか。

原子爆弾、それも核爆発を崇めるとはなんとも悪趣味で、とくにヒロシマ・ナガサキの方々のなかには、娯楽ゲームとしてはすまされない概念かもしれません。しかし、この部分は、日本語版でも削除されていませんでした。

*続きます

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